『マチネの終わりに』 by 平野啓一郎
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読んだ日:2020/04/09 - 2020/04/16
☆小説総合:4.8
ストーリー:4.5
登場人物:4.3
独創性:4.5
文章:5.0
深さ:4.7
他の人におすすめ:4.5
あらすじ
平野啓一郎のロングセラー恋愛小説、ついに文庫化!たった三度出会った人が、誰よりも深く愛した人だった――天才ギタリスト・蒔野聡史、国際ジャーナリスト・小峰洋子。四十代という〝人生の暗い森〟を前に出会った二人の切なすぎる恋の行方を軸に芸術と生活、父と娘、グローバリズム、生と死など、現代的テーマが重層的に描かれる。最終ページを閉じるのが惜しい、至高の読書体験。第2回渡辺淳一文学賞受賞作。
目次
出会いの長い夜
静寂と喧騒
《ヴェニスに死す》症候群
再会
洋子の決断
消失点
愛という曲芸
真相
マチネの終わりに
感想/考察
『現代的テーマが重層的に描かれる。最終ページを閉じるのが惜しい、至高の読書体験。』こういう謳い文句は結構見るが、ほんとにそう思ったのは初めてかもしれない。本当に良かった。
心情の微妙な陰影を描くのがうまい。ちょっと表現が重いのかも知れないが、主人公が芸術家なので、作品の雰囲気とも相まってやりすぎ感はない。世間的にどういう分類なのかは知らないが、純文学っぽい。言葉の選び方が好き。分かりやすい。そしてこれらの”ハイソ”で分析的な言葉の数々が浅い感じがしない。著者の懐の深さを感じる。
まえがきにあることは本当なのかもしれない。なんというかフィクションくささがない。それは作者の才能なのかもしれないが、単一ではないかもしれないが何かしらの事実をベースにして書かれたことは間違いないのではないか(ここまでぼかしてしまうと全ての小説がそうではないかという気もしてしまうが笑)。二人がすれ違った部分はさすがに小説的な要素が拭いきれなかったが、おそらく事実をベースにしているからこそ、その心理的な陰影が現実を中心とした正規分布の中に収まっているという感じがする。そう感じるのが事実がベースだからなのか、作者の技量なのか、何か作者の中で長年練り上げた理想の愛みたいなものがあって、その年月がそう感じさせるのかはわからないが、ともかく納得感がある。
こういう本を読むといつも音楽やっとけばなあ…と思う。子供にはやってほしいな。そういう親の後悔を背負う子供としてはどうなのかわからんが笑
ナガサキやイラク、リーマンショック、東日本大震災という底の見えない社会問題を扱っていながら、そこに偽善や押し付けがましい感じを受けない。こういう中立的な文章を書けるのは日本ならではなのか。それとも私が日本人だからコレを中立と感じるのか。
キリスト教的ルサンチマンに収束する気配もあったがそうならなかった。弱者の弱さを内包して、超人は超人になる。
自由意志に対する揺れる心情が丁寧に繊細に描かれている。ニヒリスティックな自由意志の喪失に対する反発と、しかし意味を喪失することへの恐れとが、弁証法的解決を求めて揺らぐ。人類は運命をとるべきか意思をとるべきか、そのどちらでもないのか。
最後のマチネのシーンがやりたかったんだろうなあ…ジャリーラと3人の私的な演奏会が、公的なマチネの中で拡散する。でも理解しているのは二人だけ。この場面に限らず。このパブリックなイベントとプライベートなイベントとのリンク(世界的な悲劇と個人的な悲哀の対比)が美しい。パブリックな場で感じる孤独が理解者を得て緩和される。ここではパブリック、民主主義的な限界が示されていはいるが、それを否定するわけではなく、内包する強さがある。
ここには真理には到達できないという真理が描かれている。全てが純血の内に解決される清らかな真理という幻想そのものを覆して、いや、内包して、全ての瞬間が運命的に完全であり、刹那的な真理が永遠であることが表現されている。
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